‡‡‡ To an I sake ‡‡‡




いつもどこか不安を感じていた。

それが具体的になんなのかは、分からなかった。




………違う………。




分かろうとしなかった。

不安の正体もその理由も。
全て分かっていた。
それを無視してきた。
不安と向き合って、解消しようとしなかった。



これは、その代償なんだ。




自分の『彼』が、知らない『女』の肩を抱いて嬉しそうに歩いている。




仕事の用事でオフィスの外へ出て歩道を歩き始めて数秒。
私の前方から歩いてくる背の高い男性。
見違えるわけがない紅い髪。
近づくほどに聞こえてくる、低いくせに優しい声。

紛れもなく、私の『彼』なのに。

その隣には、私とは違って、綺麗で大人な『女性』がいる。

突如動けなくなった足を、何とかして前へと踏み出させる。
無理やり動かす足は、驚くくらい震えていて、上手く歩けない。
必然とふらついて、ぶつかってしまった。


「っと。大丈夫か?」


条件反射だと思った。
意思なんて働く前に、私の瞳が紅い瞳を探してしまう。
あの声が、私を動かす。

顔を上げてしまった私を見て、初めて気が付いたらしい。
珍しく驚いた顔をしている。


「すみません。大丈夫です」


他人のフリをして答える。
意思を持って視線を外す。
とにかくこの場を離れたい。
ただそれだけ。

それなのに。


「おい、


その声で私を呼ぶ。


振り返れば私は貴方の腕に飛び込みそうだから。
だから振り返らずに。

「ごめん。仕事中…だから」
「何?悟浄の知り合い?…へぇ、こういう普通な子とも知り合いなんだ。意外ね」

背中に突き刺さるような視線と言葉。
すれ違うように歩き始めていた私は、聞こえないようなフリをして悟浄達と離れていった。



「………天気予報…当たりそうね…」



しばらく歩いて見上げれば、空一面を覆う鈍い色の雲。
夕方には雨が降ると言っていた天気予報。
まるで私の心の予報でもあるようだった。




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仕事を終えて、外を見るとやっぱり雨が降り出していた。
オフィスから出て、傘を差して歩く。
数メートル歩くと街路樹の下で誰かが立っている。
一応樹の下とはいえ、たかが街路樹。
雨がしのげる訳がなくて、その人は案の定、雨に濡れていた。

通り過ぎればよかったのかもしれない。
でも体が先に反応する。


「…何してるの?」
待ってたに決まってるでしょ?」


相変わらずの軽い口調。
長い前髪から雫が滴り落ちて、悟浄の頬を濡らしていく。


「あ〜…あのさ?昼間のアレなんだけどな?」
「昼間?何それ。知らない」


悟浄が何か言う前に、私から話を終わらせる。
そういう態度を悟浄が嫌っているのを知っているけど。

だから、


「…おい………」


って怒った口調になるのも、予想できていた。



ねぇ。
こんなにも貴方の事知っているのに…。
あの時、隣にいたのは…私じゃないの?
あの人の方が貴方の事を知っているの?
私よりも?



「………これ挙げる…」


持っていた紅い傘を強引に持たせる。
私が持っていた傘はその傘だけ。
だから今度は私が雨に濡れる。


が濡れるじゃねぇかよ…」
「構わないで」
「んな事できるわけ――」
「もうっ…もう二度と私の前に現れないで…」


悟浄の言葉をかき消して、私が震える声で言う。
貴方は優しいから。
だから貴方からこういう事を言う事は出来ないだろうから。

だから、私から貴方へ。



何も言えなくなった悟浄を置いて、私は再び歩き始める。
傘を持たず。
頭上から降りてくる雫に触れながら。
歩いている足は次第に速くなって…。

気が付けば、走っている。



悟浄は…追いかけては来なかった。





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「いい天気…」


悟浄に傘を渡して二度と現れるなと言った次の日の天気は見事に晴れていた。
とても仕事が出来る状態じゃないから、熱が出たとか言って休んでしまった。
実際、アレだけ雨に濡れたら熱も出るんだろうけどね。
でも、そんな事、今の私には大した事にはならない。

平日のお昼少し前。
自宅近くの公園のブランコに座って、軽く揺らす。
キィキィ…とたまになる音が、不思議と私の鈍くなった感情を鋭利なものへと変えていく。

自分から告げた別れ。
追いかけてきてくれると思っていた自分の愚かさ。

溢れてくる涙を止める術が見つからない。
顔を上げて空を見上げても、その澄み切った蒼が、自分と反していて、余計に泣けてくる。


「ど…して………ご、じょ…ぅ………」


もう二度と会うことのない名前を口にする。

まだこんなに好きでいるのに。
好きで、好きで、好きで…。
私はこの先…貴方が側にいなくても…歩いていけるの?


「ごじょぅ………」


涙は止まらない。
ブランコの鎖を握り締めて、下を向いてただ泣き続ける。
愛しいあの人の名前を呟きながら。
何度も何度も…。



「そんな風に俺を呼ぶなよ…」



幻聴だと思った。
悲しさから私が作り上げた幻想だと…。


私の後ろから、きつく抱きしめる腕が、
肩口にかかる紅い色が、
包むような煙草の匂いが。

全てが幻想だと…思ったのに。



の前には現れられないから…後ろからな…」



耳に柔らかく流れてきた声。

言ってる事はふざけているのに、言葉と同時に強められた腕の力が何もかも語っているようで。

そっと、ブランコの鎖から手を離して悟浄の腕に添える。
自分の手で触れてやっと、幻想じゃないと確信できる。


「昨日は…悪かった…。をここまで追い詰めるつもりはなかったんだぜ?」


追い詰めたのは私の方なのに…。
そう言いたい言葉も、全て涙が奪っていく。


「お前、いつも俺が他の女の話していてもさ、普通にしてたから、ちょっとヤキモチ妬かせようと思ってな」


普通にしていたわけじゃない。
どう反応すれば良いのか分からなくて、それで普通にしてしまっていた。


「…………怒れば…良かった、の…?」


振り返る事ができない。
振り返ってしまったら…貴方がいなくなってしまう気がして。
腕に手を添えたまま。
泣く事を止められないまま、私は聞く。


「普通に流されるよりは、その方が断然いいぜ?」
「……………昨日の女性、は?」
「街歩いていたら声掛けてきた女」
「向こうは本気だった…でしょ?」
「俺にはだけだ」
「………………」
「………もう遅いのか…?」


遅くない。
私はまだ貴方が好きなの。
後ろから抱きしめる貴方の顔が見えないから。
声が珍しく震えているのが分かりすぎるから。
だから。
だから私から言った言葉を取り消すの。


「悟浄………」


強く抱きしめていた腕を少し緩めさせて、私は振り向く。
後ろにあった悟浄の顔が、今は私の前。


…」


苦しそうな顔をして私の名前を呼ぶ。


「俺は…どれだけを泣かせる事になっちまうんだろうな…」


「それでも…それでもいい。…悟浄が私を好きでいて、私を側に置いてくれて………それが私一人なら…」


「あぁ………一人だけだ………」


「悟浄………大好きよ…」


「俺は愛してるぜ?」


「よかった…私も……愛してるの…」




優しく微笑んだ私と悟浄。

お互いの顔がゆっくり近づいて触れ合う。

そっとそのまま瞳を開ければ、視界に広がるのは…、



紅と蒼。



澄み切った蒼に映える、綺麗な、綺麗な………。



紅い色。






END




シリアスで大人な感じ…。
暗くて微妙な感じに………っっ。
ヒロイン設定はリクどおりにできなかったしっ。
この有様っっっ(涙)
ごめんなさいっ!緋桃さまっ!
へ、返品可能ですがっ!とりあえずはお送りいたしますっっ。
いつもどおり、緋桃さまに限り、お持ち帰り可能です。